人が生きるために食べる生き物の命への道徳問題 アニマルウェルフェア(Animal Welfare)について

Written by ちゅ~ん

 多くの人が普段の食事の中で、たくさんの『生き物の命』をいただいている。一般的には豚、鳥、魚などといったものだ。これらの食材がスーパーマーケットの店頭に並ぶまでの工程として多くの人がイメージしているのは、恐らく養豚場や養鶏場ですくすくと育てられ、大きく育ったら食肉解体施設に運ばれ加工され、スーパーマーケットに運ばれるといったものではないだろうか。普段インターネットから様々な情報を得られるようになってはいるが、我々の口に運ばれる生き物の命がどのように『育てられている』か、いや、『生産されている』かはあまり知られていない。

 「イルカやクジラは賢くてかわいいから食べてはいけない。」といったような非論理的な動物差別をするのではなく、ここでの問題は食用動物の『育て方』=『生産方法』だ。日本人が大好きな唐揚げや串焼きででよく口にする鶏肉を例にとってみると、鶏肉とはもともと自然に存在していた鶏(ニワトリ)を食用に品種改良したブロイラーと呼ばれるものだ。広い敷地で走り回れる「平飼い」で育てられる地鶏などはヒヨコから出荷される大人になるまでおおよそ120日かかるが、より生育が早くなるように品種改良されたブロイラーは「ケージ飼い」でヒヨコから育てられてたった40~50日で体重が2~3キロまで育って出荷される。品種改良とは、より生産性を上げるために短期間で肉が付くように改良を続けられたものだ。「ケージ飼い」とは、ブロイラーが身動きできない狭い空間で密集させられる飼育方法だ。現在は市場に出荷される鶏肉の9割以上がケージ飼いである。詳しい情報はインターネットで検索すれば出てくるのでここでは割愛する。

 食用動物を育て、屠畜(命を奪う)して食することに異論は無い。しかしながら限度を超えた品種改良や残留薬物の懸念といった食の安全性という問題もあるが、その前にその生き物たちを『飼育』するのか『生産』するのかというという道徳的な問題だ。前者の捉え方であればブロイラーは『生き物』であるが、後者であれば『製品』として、まるでネジや釘を製造するかのように扱われ『生き物の命』の尊厳が奪われている。育てている期間は、例えコストが上がろうとも命ある『生き物』として尊厳されるべきではないだろうか。消費者は例えそれで鶏肉の価格が上がって鶏肉を口にする回数が減ることになっても、道徳上の観点から受け入れて欲しい。子供の頃、食事の前に「これからいただく生き物や生産者に感謝をしてからご飯を食べなさい。」と言われて育った筆者としては、この問題が少しずつでも改善されていくことを強く望む。

目次
閉じる